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ようこそ、スチームパンクの世界。200年近い歴史のある廃工場『Dolni Vitkovice』|旅、チェコ。

ようこそ、スチームパンクの世界。200年近い歴史のある廃工場『Dolni Vitkovice』|旅、チェコ。


ようこそ、スチームパンクの世界へ。

僕の生まれ故郷である茨城県の日立市は、古くから石炭や製鉄所などの工業が発達した地域。駅の近くには昔は栄えていたであろう工場の廃墟が多く存在する。「あの中に入って鬼ごっこをしたら面白いだろうな」なんて思いながら、実際に入ることはなかったのだけれど、大人になって、チェコで廃工場に入ってみたいという思いが実現するなんて――。

今回はトバログで連載中の『旅、チェコ。』より、チェコ第3の都市オストラヴァで見つけた廃工場『Dolni Vitkovice(ドルニ・ビトコビツェ)』に足を運んでみた。スチームパンクな世界を写真でお届け。

 

※『旅、チェコ』シリーズはチェコ観光局の招待を受けてチェコでの生活を発信する連載企画です。

 

100年以上の歴史を持つ製鉄工場『Dolni Vitkovice(ドルニーヴィートコヴィツェ)』で廃工場見学を楽しむ


オストラヴァはチェコ随一の工業都市なんだ。その中でも『Dolni Vitkovice(ドルニーヴィートコヴィツェ)』という廃工場は、見た目にもインパクトがあるし、見学ツアーもやってるから行ってみるといいよ」と、教えてもらってここにやってきた。

Dolni Vitkovice は1800年代前半に名家によって建てられ、1998年まで稼働していた製鉄工場だ。前回記事でも簡単に触れているが、オストラヴァは石炭が多く採れる地域で、なおかつ鉄道などのインフラも整っていたことから、工業都市として発展していった。この工場もその流れで発展し、第二次世界大戦時にはナチス・ドイツ、1948年には国営化となり、共産主義国時代ではソ連の戦車や戦闘機などに使う鉄を精製していたそうだ。

1998年に最後の鉄が精製されるまで100年以上、この工場で鉄を作り続けていたが、その後は閉鎖。2002年に『ヨーロッパ産業遺産の道』に登録されてからは、歴史や文化を知るための工場見学ができる施設として運営している。

 

この日はあいにくの雨。天気はあまり良くないけれど、錆びついた鉄の雰囲気や建物の雰囲気がよりリアルに浮かび上がる。共産主義時代やナチス・ドイツ配下の時代の雰囲気を感じる。

 

見上げれば、金属むき出しの建造物が並んでいる姿は圧巻の一言。何の装飾もなく、製造のために手入れがされていない遺産。こうして廃工場に並んでいると、「もしかしたら夜中には動き出すんじゃないか……? 」という不安感を煽る。

「時は西暦3000年。その昔、人類が世界を支配していた時代……」というストーリーが生まれそう。

 

圧巻の大きさ。コークスから鉄を精製するための溶鉱炉

この廃工場の見どころは、高さ78m(上部の展望施設も合わせたサイズ)の溶鉱炉。鉄の材料となるコークスをここまで運び、この溶鉱炉でじっくりと溶かして鉄にしていたそうだ。

コークスは石炭を原料とする多孔質の固体。そのコークスを溶かすためのエネルギーとしても石炭が用いられていたので、製鉄にはオストラヴァ近郊で採れる石炭は欠かせない。

 

現在、溶鉱炉は使われていないので、近くまで寄ってじっくりと観察することができる。

溶鉱炉の小さいパイプには水が通り、溶鉱炉自体が溶けないようにするために水冷式で冷やしている。また、太く大きいパイプは鉄を精製する際に発生した蒸気を逃がすためのもの。パイプから通った煙は、大きな煙突から抜けていく。

「かっこいいから取り付けよう」ではなく、それぞれに意味がある。

 

ここを真っ赤に熱された鉄が通り、列車に熱々のまま送られる。ちなみにこの穴も鉄でできているので、数時間でふさがってしまう。そのため8時間の勤務中に3回、ドリルで穴を開けていたそうだ。

 

「熱々の鉄の溶鉱炉は気温が60度にもなるんだ。だからここで働く人はこうした耐熱服を着ていたんだよ。チェコでは水分補給をミネラルを多く含むノンアルコールのビールでするんだ。当時はみんなここでビールを飲みながら仕事をしていたんだよ。」とガイドが教えてくれた。

ノンアルコールビールさえ日本では無理だろうなあなんて思ってみたけれど、感覚的には「仕事中は麦茶、夜は麦焼酎」みたいな感じなのかも、と思うと妙にしっくりとくる。

 

まるで時が止まったかのような。レトロフューチャー感漂う制御施設

この製鉄工場は24時間稼働しっぱなしだったそうで、制御室には常時数人は作業していたそうだ。その制御室が「映画で見たことのあるレトロフューチャー感漂う雰囲気」で好き。

 

スイッチや記録用紙などは当時のまま保管されている。こうしたスイッチにも自由に触れて、当時の制御室のようすを楽しむことができた。

僕はこの時代に生きていたわけではないけれど、当時の職員もこうやって同じボタンを押していたと思うと感慨深い。今ならスマホくらいのスペックがあれば、あとは自動的に制御できるんだろうなあ。

 

オストラヴァの工業地域を一望できるボルトタワー

現在、当時の溶鉱炉は『ボルトタワー』としてオストラヴァの象徴的な展望台となっている。「溶鉱炉の上にくっつけちゃった」みたいな感じで螺旋を描くように建っているのがボルトタワー。ネジを模している形状で、かつウサイン・ボルトがこの地で練習していたことからボルトタワーと名付けられた。

地上78m、5階建てで中にはカフェがある。

 

ボルトタワーまでは、かつてコークスを運んでいたレールを用いたゴンドラに乗って登っていく。「何百年も前からある設備に取って付けただけのようなゴンドラ」は、けっこう揺れるし怖い。

 

上に登ると、さらにここから金網状になって下が透けてみえる床を歩いて上に登る(けっこう怖い)。

 

上に上がるとちょっと怖いが、だんだんと景色が良くなっていくので面白い。それでもむちゃしたら乗り越えられそうなくらい低い柵なので、修学旅行とかだったらふざけて落ちそう。

 

上に上がるとここ一帯のようすを見渡すことができる。ただ風も強く、足元も透けている。ゆらゆらと揺れる状態はたまらなく怖い。

 

こういう高所でアクロバットする動画、YouTube とかであるよね。

 

ウサイン・ボルト氏のサイン。ボルトタワーが完成したときにはウサイン・ボルト氏もここにやってきたのだとか。

 

この製鉄工場はもう閉鎖しているが、ちょっと離れたところにある工場はまだ稼働中。

 

逆側からはオストラヴァの都市が見渡せる。ここも良い街だなあ。

 

まとめ

こんな感じでオストラヴァでの廃工場見学は終了。これまでナチス・ドイツやソ連軍などは教科書や映画で見聞きしていたが、実際にこの工場でその時代の戦車や戦闘機の元となる鉄を精製していたと思うと「僕が勉強した歴史って、実際に起きていたんだなあ」とリアルに感じることができる。

もしもあなたがチェコへの旅を考えているのなら、ぜひ行ってみてほしいスポットの一つだ。また、トバログではチェコでの旅のようすを『旅、チェコ。』で連載中。気になる人は過去記事も読んでみてほしい。

 

Dolni Vitkovice(ドルニーヴィートコヴィツェ)

  • アクセス:Vítkovice 3004, 703 00 Ostrava-Vítkovice
  • 営業時間:MON-SUN 10.00 – 18.00(ボルトタワー:MON-SUN 10.00 – 22.00)

 

次回:チェコで出会ったフィルムカメラ好きな男女の話

次回はここチェコで出会った、フィルムカメラを持つ男女の話をしようと思う。