トバログのコト 注:この記事はアフィリエイト広告を含みます

会社を辞めて正解だったのか?フリーランスになって3年が経った結果

会社を辞めて正解だったのか?フリーランスになって3年が経った結果

まずは3年、生き抜いた。

会社員を辞めました。僕はトバログの人として生きていく』という記事を書いてから、もう3年が経った。キャリアとしては編集部のインターンからPR代理店業、インハウスマーケティングなどの仕事を経て「トバログの人(つまりトバログというブログの中の人)」として独立したわけだが「この3年間をどう過ごしたのか」「この先も生きていけるのか 」を経過報告しておきたい。

あれから僕たちは――

僕が独立をしたのが2018年の7月1日。ブログ収益が会社員時代の収入を大きく超えはじめ、それが3ヶ月以上続いたタイミングで辞めている。それが大きな理由の1つであることに変わりはないが、辞めるきっかけはさまざまだった。

  • フルタイム(9:00-22:00)でブログ書きたい
  • 平日昼間のイベントや会議に参加したい
  • そもそもブロガーとして活動するために職種を選んでいる
  • 早めにやって早めに失敗したほうがリスクが少なそう
  • HHKBを叩く音が「おめえ、それうっせえんだわ」と経営陣に怒鳴られた

とまあいかにもそれっぽい理由を並べてみた。ファーストキャリアは広報PRの代理店で、そのあとはM&Aベンチャーでマーケティング部門の立ち上げを行い、さまざまな施策を実施してきた。と偉そうに書いているが、僕はそもそも仕事が向いていない人間だと思う。企画を作ったり面白いことをしたりは得意だが、ホウレンソウは苦手だし、始業には遅刻するという、典型的な仕事のできない会社員だ。仕事自体は楽しかったからけっこう頑張ったが、業務中に1時間のマッサージに行ったり、秋葉原で降りてヨドバシカメラを徘徊してから帰社したりと、のらりくらりとサボりながら仕事をしている。

そんな僕が猛烈にハマったのがブログや自己発信の世界。自分のなかにある「これやったら面白そう」「こんなモノをレビューしたい」という好奇心を昇華していくだけで、誰かの役に立って感謝され、それが収入になる。大学4年から始めたブログのPV数は右肩上がりで、読者もぐんぐん増えていく点も楽しい。「学生時代の最後に何かやっておきたい」と本腰を入れたブログにここまでのめり込むとは、実は半分思っていたけど、それが収入の軸になるとは思わなかった。

社会人となって3年が過ぎた頃、みんな「キャリアの土台となる20代、どこに努力値を割り振るか」を具体的に考えるようになる。ある人は転職を、ある人は大学院に、ある人はその会社でマネージャーに――。キャリア形成をするうえでどんな種をまいて、どこで肥料が必要で、どの方向に根を伸ばすかを悩みながらも突き進む。僕もいくつかの道を考えたけれど、やっぱりブログを本気でやりたいという気持ちが強い。不安定な職種ゆえに反対する人もいたけれど、転職しても決断を先送りするだけだと思い「まあ2年やって駄目なら会社員に戻ろう」と独立をして今に至る。

独立したあとの生活

独立して間もない頃は、とにかくブログを書いた。「まずはブログを成長させたい」という一心で、1日2~3記事を書き、結局70万PVくらいまで成長したと思う。最初の半年間は収入が見込める状況でスタートしたものの「会社員の給与」という後ろ盾がない不安はかなり大きい。3ヶ月くらいで独立直後の高揚感が焦燥感に変わる。

独立した最初のうちは「平日なのに熱海に日帰り温泉」「朝から秋葉原でガジェットを物色」が楽しかったが、時間を切り売りしているフリーランスにとって、言ってしまえばその時間は発生するはずの収益を削って遊んでいることになる。それが焦燥感の始まりだ。読者に大見得を切って辞めた手前、せめて2年間くらいは踏ん張りたい。その気持ちを軸にブログに打ち込んで、70万PV。

そのあとは半年ほどブログばかり書いていたが「やりたいコトをやる」が独立する一番の目的だったので、ブログ以外にも『トバログの半移住。2019年は半分くらい海外に行ってきます』をしたり「『トバログのカバンの中身』を出版します!」を作ったりと、けっこう充実した毎日を送っていた。とくに海外を転々とした経験は大きく、あの頃に感じた “違和感” や “生き方” みたいなのはものすごく参考になった気がする。言葉での表現は難しいけど、トバログの軸や雰囲気に取り込めた。 コロナが落ち着いたらまた行きたい。

結果的として不安感とは裏腹に数字も収入も伸びていき、ブログのタイアップ案件や外部でのライティングなどで安定もしてきたタイミングで、焦燥感は減っていく。フリーランスは先を見すぎると、焦燥感で何も手がつかなくなるので、先を見すぎず柔軟に動く姿勢が大事だと肌で感じた

テキストか、動画か

ブロガーとして独立してから1~2年が経った頃、徐々に僕がブロガーとして独立した頃とウェブのトレンドが変わっていくのを感じる。ただ好きなコトを好きなように書けたブログだったが、マーケティングの視点(SEOやアフィリエイト)を強く持った戦略的な視点がないと生き残るのが難しくなる転換期だった。個人ブログなのに年間で1億円稼ぐ人もいれば、逆に月100万円の収益があったのにほぼ0円になった人など、グーグルの評価1つで生活が2極化する。

トバログは幸いにもSEOやアフィリエイトがメインのブログではないから、悪い影響は受けなかった。しかし増えすぎたブロガーや企業サイトとの検索順位椅子取りゲーム。負けたら消える。そこで勝負をするにはSEOやアフィリエイトなどテクニカルな手法は必須なのだけど、ブログの個性や表情を消してまでそこに最適化したくはなかった(今のSEOはどうなのか分からないけど)。

ずっとこのスタイルでのブログが続くとは思っていなかったが、まさかこんなに早く大きな方向転換を考えるとは………。この辺でブロガーはアフィリエイターとしての活動をする人、新たな選択肢としてYouTubeを始める人が増えてきた。

テキストも動画も伝えたいことは同じ

友人ブロガーたちが続々とYouTuberになっていくなか、僕は躊躇していた。YouTubeはメントスコーラやアルミホイルの玉などエンタメ系のイメージが強かったし、僕は話すことが下手だし、今さら動画をはじめても後発すぎると感じたから。何より「わいはブロガーとして独立したんや」みたいな、変なプライドも邪魔をしていたと思う。

「トバログも動画やったほうがいいで」と、現iPad系YouTuberの平岡さんからの助言もあったが、好きになれないこと(動画コンテンツ制作)を無理にやるのは辛い。何度も重い腰をあげようとするが、自分のなかで「これで良いのか? 」という思いが知恵の輪のように絡みつき、なかなか一歩を踏み出せないでいた。

転機となったのはやはり海外を転々と旅したとき。チェコからフィンランドへと向かう道中、空港のバーガーキングの店員さんに「仕事は何をしているんだい? 」と聞かれ「ブロガーだ」と答えた。すると「YouTuberじゃないのかい? YouTubeなら俺たちも見られるからチャンネル登録するぜ! 」とのこと。なるほど動画は言語の壁を越えるのか。

そこで「テキストも動画も単なる手段であって目的ではない。自分がやりたいことの本質は『発信』なのだから、手段にこだわる必要はないのでは?」と腑に落ちた。知恵の輪は1つの “きっかけ” に気づくと、それまでが嘘かのように、するりと解ける。

動画をやる理由に正当性が持てたので、2020年の正月にチャンネルを開設。カメラに向かって長時間話すのも初めて、Preimere Proで動画を作るのも初めてだったので心が折れそうになったが、郡山市の安積永盛にあるスターバックスで1本目の動画を投稿した。

1本のホームラン

YouTubeというプラットフォームはすごい。リアルタイムでチャンネル登録者が増えていくのが分かり、いつどの動画が見られたのか、そしていくらの収益を生んでいるのかがすべて分かる。更新しなければ数字は減っていくし、更新すれば伸びていく。グーグルとの業務委託でユーザーに動画コンテンツを届けるフルコミッション外資、それが YouTuber だ。

YouTubeには「YouTubeは数本のヒットよりも1本のホームランで大きく成長する」という法則がある。伸びるYouTuberはある日突然、10万再生を超えるバズ動画を生み出し、そこで初めて広く認知される。ほとんどのYouTuberがこの法則に当てはまるようだ。

YouTubeとブログは「自己発信」という目的では同じだが、性質は大きく異なる。ブログは辺鄙な場所で数人のお客さんが来てもらえるように育て、やがて人気が出ればより人が多いところに進出するという地方飲食チェーンのように戦略を立てる(陣取りゲーム的)。一方でYouTubeは、人がたくさん集まるイベント会場に出店する感覚。人はたくさん居るけど美味しくないと人は集まらない。逆に他の追随を許さないくらい美味しければ、無名でも行列ができる店になる。簡単なようで難しい。

僕も早く1本のホームランを打って、ブログだけでなくYouTubeの視聴者にもトバログを認めてもらいたい。ホームランを打つためには打席に立つ回数が重要だ。動画の更新頻度が高いほうが良い理由はここにある。

毎日打席に立って、初めてのホームラン動画を作ったのが、チャンネル開設から約1ヶ月後の2020年2月9日。『白いニンテンドースイッチライトの作り方』だ。ニンテンドースイッチライトにスキンを貼って白くするだけのよくある内容で、最初の1ヶ月はまったく伸びなかった。そして1ヶ月ほど経ち、世界的なロックダウンと、あつまれ どうぶつの森が発売が重なるタイミング。「世界的にスイッチが人気」とのニュースを見て英語字幕を追加したところ、これが海外で大きくバズった。

最初に大きく伸びたのが字幕を付けて2週間ほど経ったタイミング

そこからチャンネル登録者が大幅に増え始め、これまでアップしてきた動画の再生数も底上げされていく。それがトバログの動画初のホームランだった。そこからは運良くカバンの中身動画がバズったり、テレワーク需要からホームオフィス系のコンテンツがバズったりして、今ではありがたいことに12万人のチャンネル登録者。ありがとうございます。ありがとうございます。

「だからなんなんだ」という話ではあるのだけど、ブログに続きYouTubeもそれなりに大きくなったことは、自分のなかで再現性が持てる成功体験として大きな糧になった気がする。

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会社員か、フリーランスか?変化にのまれる人生

独立してから3年が経った。「まだ3年」という気持ちもあれば「もう3年」という気持ちもある。変化の早いウェブの世界でフリーランスをしていると、時間の経ち方に対して変化の移り変わりが残酷だ。とはいえそれは僕らに限った話ではない。コロナの影響もあり、巷では「会社員=安定ではない」といったような論述を目にするようになった。世界がめまぐるしく変化する昨今、どんな職業でも「死ぬまで安定」はもう難しい。なぜなら世間的な「安定」の定義は運の要素が強く、流動性が高いものだから。「この銘柄は将来上がるよ」と囁かれる株のようなものだが、みんな狂ったように安定を求める。

先のコロナでは運良くインターネットにとって追い風だったが、たとえば将来的に宇宙からの有害な電磁波でインターネットが使えない日が来るかもしれない。もっと身近にいうと、トバログのYouTubeがBANされたり、ブログが消えたりするかもしれない(過去3回消えた)。

こう考えると、もはや「安定かどうか」という考え方で職種を考えることは許されないんじゃないかとさえ思う。フリーランスは「あ、これしばらく食っていけるかも」「やっぱ半年後どうやって生きてるのか分からないわ」を繰り返す職業だ。

じゃあ安定がまったく無いのかといと、そういうわけでもなさそう。まだ3年くらいの短いフリーランス人生ではあるが、僕のなかで「安定」にもっとも一番近いのは、「考えて考えて、でも先を見すぎず柔軟に動く姿勢」だ。立ち止まってはいけない。

これからのこと

今は精一杯できることをやっていきたいと思っているが、それとは別にやりたいことも色々ある。1つは「カバンの中身の本を作る」。前に Kindle で自費出版した本が1万部以上は読まれているようなので、それとはまた違った切り口でカバンの中身本を作りたい。もう1つが「日本じゃなくても生きていける実力」。海外移住とまではいかないが、昨今の日本の動きを見ていると、日本以外にも視野を広げておくのが大事な気だと思う。今僕には5ヶ月になる娘がいるので、彼女が就学する前にはある程度方向性は決めておきたいと思っている。

フリーランスという選択は正解か? 今後を生き抜くために

この記事の最初のほうで「キャリアの土台となる20代、どこに努力値を割り振るか」という話をした。3年前、25歳で「会社員から独立して自分で事業をやる」という選択は正しかったのかーー。結論から書くとよく分からない。

ただこの3年間で、これまでの僕では考えられないほど大きな仕事もさせてもらえているし、それに伴い収入だって、僕が普通に会社員をやっていただけでは届かないところまで来られた。もちろんこういう仕事にはトレンドがあり、代わりはいくらでもいる。僕はたまたま「自分の好きなコト」と「時代の流れ」「発信するプラットフォーム」が上手いこと当てはまり、そして身近にいる友だちや家族に助けられた運の良い人間。ただそれだけ。

この仕事を今後も続けるために大事なのは、1番は「メンタルのコントロール(病まない、モチベーション維持)」、次に「より良い方向に考えて実践するコト(思考量 + 実践回数のPDCA)」に尽きる。今はこれで食っていけているが、このスタイルは必ず過去のものとなる。どう人生が動いたとしても、柔軟に動けるように心がけていきたい。

会社員を辞めました。僕はトバログの人として生きていく